
ここ数年、またディック作品の映画化が続いている。「マイノリティ・リポート」(原案:「少数報告」)、「クローン」(原案:「偽者」)、そして今度は「ペイチェック」(原案:「報酬」)。映画化しがいのありそうな長編はたくさんあるのに、どの原案も短編や中編からピックアップされているのは、お手軽に柳の下のドジョウを狙っているだけだから…なのかどうかは知らないが。映画の公開に先立ち、「ペイチェック(「報酬」からの改題)」を表題作として納めた短編集が発売されていた。自分がすでに所有している本に納められている作品ばかりだが、条件反射でうっかり買ってしまったので、ざっと感想を。ネタバレは最低限にしたつもり。
ペイチェック Paycheck 訳:浅倉久志
2年間の雇用契約を終えて記憶を消去された主人公は、期待していた莫大な報酬の代わりに、7つのつまらないガラクタを引き渡される。雇用期間中に彼自身が要望し、報酬の変更を求めたというのだ。自分は「そこ」で一体何を知り、何の為にこんな品物を要求したのか…。
良くあるタイプのエピソードで、ディックの数多い短編群の中ではあまりパッとしない作品。私は本来こういう話は好きなのだけれど、当作においてはアイテムの使われ方がストレート過ぎてヒネリも何もないし、強引な結末で読後感もすっきりしない。ディック作品は強引で当たり前、プロットについて突っ込むのは野暮な事だと判ってはいるが、その見返りとして得られる筈の独特の空気感が希薄で、他の短編よりも見劣りするのは否めない。金のために書き散らしたのか、あるいは肩の力抜き過ぎで書いた一編という印象を受ける。同じ話をハインラインやシェクリイが描いていたら、少しずつ謎が解きほぐされて行く達成感や、最後に全てのピースが収まるべきところに収まったような収束感を、もっと鮮やかに打ち出していただろうに。
だが、ハリウッド映画の原案としては、このくらいライトなテイストのほうが合っているのだろう。原案のヒロインの名は「ケリー」だが、ユマ・サーマン演じる映画版の同役は「レイチェル」という名になっているそうである。あのなー。制作側みずから「この映画は内容とかもうどうでもいいです! ブレードランナーと原作者が同じってだけがウリです!」と声を大にして言ってるようなものではないか。その上「鳩」まで出て来るみたいですよ。かてて加えて、ストーリーの主軸となる7つのアイテムは、映画では19個のアイテムに増えているらしい。そんなの観客も覚え切れないってば。さぞかし冗長で御都合主義を水増しした内容になっているのだろう。そもそもユマ・サーマンが出てる時点でB級見かけ倒し映画間違いなし、ユマが悪いんじゃないとは思うが。
ナニー Nanny 訳:浅倉久志
地味な素案に独特の空気を吹き込んで膨らませ、捩じ伏せ、何とも言えない味を醸し出す事に成功している。彼の魅力の原点はこういうところ。
ジョンの世界 Jon's World 訳:浅倉久志
名作短編「変種第二号」と同じ世界の後日譚。実は地面の下にモーロックがいるんじゃないかと気になってしまう。
たそがれの朝食 Breakfast at Twilight 訳:浅倉久志
非常に印象深く、いつ読んでもイヤな感じになる名作。単純に「無事に元の生活に帰れて良かったね!」というだけのオチではないところに気が滅入る。抜け道としてお定まりの平行宇宙論を持ち出さなかった点にも厳しさを感じるが、最後のセンテンスからそこまで脳内補完できないこともないような。
小さな町 Small Town 訳:小川隆
これもよくあるタイプの話。中年男の生涯を賭けた鬼気迫る狂気を織り込み、湿り気を帯びた重いイメージに。
父さんもどき The Father-Thing 訳:大森望
ディック界においては古典的名作の一つでしょうか。子供の描写はいつも本当にうまい。ジュブナイルとして見ても良く出来ているのではないかと。三田村信行のトラウマ児童書「おとうさんがいっぱい」はオトウサンモドキを下地にしているのではないかと。悪意のない分あちらのほうが恐い話だが。
傍観者 The Chromium Fence 訳:浅倉久志
この本では一番好きな作品かも。淡々と描かれる内容の中に、ウェルズの「盲人の国」やブラッドベリの「華氏451」に通じないこともないくらいの主張が秘められている。ハリウッドもこういう話を映画化できるようになって欲しいですね。客が全然入らないだろうけどさ。
自動工場 Autofac 訳:大瀧啓裕
荒廃した世界を復興しようとする人々 vs. 高性能で不屈かつ融通の利かない自律式機械群と、まさにディックらしいシチュエーション。展開は少しダラダラしている気がするが、一応判りやすいオチもついている。
パーキー・パットの日々 The Days of Perky Pat 訳:浅倉久志
「自動工場」とは逆に、復興に力を注がず停滞している大人達の世界。子供のほうが頼もしいところに希望がある。
待機員 Stand-By 訳:大森望
個人的には割と好きな作品。なんちゃって大統領が従兄弟の司法長官とファーストフードを食べながらテレビを眺めつつ話す場面は、川原泉の描く点目の人物がおやつをモグモグ食べながらグタグタ喋っているイメージと重なってしまう。大森望氏の訳のせいもあるのかな。続編のような形で「ラグランド・パークをどうする?」さらにちょっとづつ関連した人物が出て来る「カンタータ百四十番」「有名作家」などの短編が存在する。このシリーズは軽いドタバタ劇でまさにハリウッド向きのような。
時間飛行士へのささやかな贈物 A Little Something for Us Tempunauts 訳:浅倉久志
この本の中では一番恐ろしい話かも知れない。短編で良かった、と切に思う。これを長編でやられたら読後は死にそうなくらいダウナーになる。まあもっとダウナーになりそうな長編は山ほどあるわけだが。
まだ人間じゃない The Pre-Persons 訳:友枝康子
この邦題はうまいですね。子供に関する法律が主題になってはいるけれど、どうにもならない体制のなかでもがくちっぽけな人間達の叫び、といったいつものディックのテーマが流れている。ラストも長編作品のエンディングみたい。
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